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在コスタリカ日本国大使館

Embajada del Japón en Costa Rica

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コスタリカの歴史

ヨーロッパ人の到達~入植~植民地時代

  コスタリカの歴史は1502年、コロンブスがその第4次航海でカリブ海岸のリモンに到着したときに始まります。もちろんそれ以前から先住民が農耕生活を営んでいましたが、当地においては、インカやアステカ等に見られるような大規模な文明の歴史はありませんでした。

  コロンブスの第4次航海後北西部のニコヤ半島及びカルタゴを中心とする中央盆地にスペイン人の入植が開始され、その後1542年、グアテマラ総督府の設置とともに、コスタリカもその支配下に組み入れられました。

  この時代のコスタリカの暮らしは大変なものであったようです。雨期の湿気は穀物まで腐らせてしまうほどであり、金銀などの貴金属はさっぱり無いのに本国からの課税は容赦なく取り立てられ、労働力として必要な先住民も少数で大農園を作るほどの余裕はなく、トウモロコシ、小麦、バナナ、サトウキビ、オレンジ、アボガド等の農作物は全て自給のための生産物で、商業用の作物生産までは手が回らない状況でした。

独立~現在

  19世紀に入って、スペイン本国の国力の衰退と、本国のためにではなく自分自身、自国のために生きたいと願う独立思想の芽生えを背景として、1821年9月15日グアテマラがスペインより独立したのに伴い、グアテマラ総督領の一部であったコスタリカも同時に独立することとなりました。しかしこの段階の独立は完全なものとは言い難く、翌1822年中米連邦が結成されると、コスタリカはその一員としてメキシコ帝国に合併されました。コスタリカが中米連邦からも離れ、「コスタリカ共和国」として真に独立したのは1848年のことです。

  独立後のコスタリカは、コーヒー・ブームに乗って発展し、少数の富裕層をつくることとなりました。この新興富裕層は自分達の中から大統領を選び、彼らに有利な自由放任主義の政治を行ったり、また、コーヒー経済で教育の機会を得て育ったインテリたちが政治に介入した結果「インテリ独裁」の恐怖政治が続きました。しかし、1920年代に入るといくつもの政党が結成され、激しい対立を繰り返しながらも真の民主的な共和国づくりのための努力が続けられました。1949年に制定された現憲法は、その高度に民主主義的な性格で定評があります。

  コスタリカの主な産業はコーヒー、バナナ、牧畜業であり、そのほかに観葉植物があげられます。また、欧米からの観光客を中心に、エコツーリズムがめざましい発展を遂げています。コスタリカは第二次大戦後、社会福祉、教育に力を入れ中米の模範国となっていますが、その為財政は常に赤字になっており、インフラ整備も十分とは言えません。

  1987年にはアリアス大統領の中米和平努力に対しノーベル平和賞が授与されました。また、国際社会において、平和・軍縮、人権、環境、国連改革等の分野を中心に積極的な活動を行っています。